もうすぐ一歳の娘へ
娘がもう少しで一歳になる。
お風呂に一緒に入る度に、
「生まれてきてくれてありがとう。あなたは私の宝物。愛しているよ。」と呟く。
こんな気持ちになるとは思わなかった。
育休中、じっくり娘と過ごすことができて幸せだった。母の役得だな。
完母にしてひとときも離れないで過ごすことが出来た。
※完母に出来たのは、順天堂医院から退院して産褥入院した三楽病院のお陰だと思っている。ひとりの(若くて綺麗な)助産師さんに夜中みっちりおっぱいマッサージ(あれは痛かった)をしてもらい忍耐強く授乳することの大切さを教えて頂いた。
もう少しで一歳。
この一年はものすごい成長具合だったね。体も顔もどんどん変わっていった。洗面台の中で沐浴出来る大きさの赤ちゃんが、湯船の中で自由自在に動き回れるようになった。仰向けに寝っ転がって顔や手や足を動かすだけだったのが、寝返りをうてるようになって、はいはいして、つかまり立ちして、伝い歩きして、むんっていってたっちして、もう5歩くらいあんよが出来るようになっている。すごいね。
リズムにも乗るし、よく笑うよね。
好奇心いっぱいで突進するところ、お父さんが好きって言ってたけど私も好き。
好きなところがいっぱい。
これからも豊かな表情を沢山見せてください。成長を側で見守ることが出来るのが幸せです。
出産記録① 順天堂医院で出産、三楽病院で産後ケアしました。
2020年2月、高齢出産で第一子を出産しました。
子は今7ヶ月、当時の記憶は柔らかくなり輪郭がぼやけつつあります。
- 出産場所の選択
順天堂医院を選んだのは、24時間365日無痛分娩が可能だから。
高齢なので、どうしても無痛分娩が良かったのです。
他の産婦人科クリニックにも行きましたが、土日夜間だと普通分娩になることを聞いて、24時間365日に拘りました。
24時間体制なので、無痛分娩のためだけに計画分娩にする必要はなく、あくまでも陣痛を待つ、というのが良かったですね。
- 妊娠健診について
大学病院はとにかく待つというイメージがあったので、妊娠健診はセミオープンシステムを利用して丸の内の森クリニックへ。
一度の欠席?もなく沢山通いました。
毎回宋美玄先生に診て頂きましたが、エコーを通して赤ちゃんの具合を詳細に診て頂き安心感がありました。性別は知りたかったのでかなり早い時期に教えてもらいました。
順天堂医院の卒業したてと思われる若い医師とは安心感が比較にならないですね。
次に書く遺伝子検査でもエコーをして頂きました。
- 遺伝子検査について
高齢出産ということもあり、先生から遺伝子検査の紹介がありました。リスクは間違いなく高いですからね…
②で続きを書きます。
靴を捨てた
家にあったヒールの靴を全て捨てました。
きっかけは、久しぶりに友人とのランチ会に行って靴擦れを起こしたこと。
その靴は履いたら必ず靴擦れを起こすのはわかっているのに、逆にあまり履かないから綺麗に保てていて素敵に見えるという…
綺麗だから捨てづらかったのです。
それを捨てることを決意し、更に家にあるヒール靴が全てくたびれていたので勢いをつけてそれらも同じビニール袋に入れました。
一足は妊娠中にずっと履いてた黒のヒールで少し手放すのが惜しい気持ちもありましたが、思い出に残ってますからね。
今後新しいのを購入するのが楽しみです。
服も捨てつつあります。
徐々に断捨離を進めていこうと思います。
日比谷散歩
4連休の最終日。
日比谷へお散歩に行きました。
お昼でお腹が空いていたのでこちらでご飯。
有楽町 micro FOOD&IDEA MARKET(地図/有楽町・日比谷/カフェ) - ぐるなび
キャッシュレスのみ。
開放的で外とのつながりを感じることが出来るので、子連れでも気楽にランチすることが出来ました。
1600円
プレートの左上、トムヤンクンのパイ包みって新しくないですか。
子ども向けの本に出会いたいなと思っていたのだけど、ここはビジネスパーソンがターゲットとのことで子ども向け本はなし。残念。
学生と思わしき人が沢山いて勉強されていました。
ここの授乳室とっても良かったです。
その後日比谷URAROJIを通って有楽町へ。
帰路につきました。
穏やかな良い連休でした。
ありがとう。
おばあちゃん
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
おばあちゃんっこだった。
高校、大学時代は家庭崩壊状態だったため、歩いて10分のおばあちゃんの住んでいるアパートによく行って寝泊まりしていた。
玄関入ってどこに何があったかよく覚えている。
小さい小さいおうち。
おばあちゃんは私が外出する時は窓からバイバイってしてくれた。
本当にお金がなくて厳しい時にお金を貸してくれた。
私のために貸してくれるお金のありかを知っていたからそこから取ってしまったことがあるのを忘れられない。自分の恥。決してしてはいけないことをした。
社会人になって私はそのお金を返し続けたが、全額返し終わらないうちにおばあちゃんは逝ってしまった。